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榊森神社の歴史・由緒

榊森神社

祭神

速玉男命(ハヤタマオノミコト)
日本書紀に登場する神。イザナギが黄泉国にイザナミに逢いに来た際、互いにある約束事を交わした時に、唾を吐き合う儀式の中から生まれた神様。唾液の誓約力が速く玉の光のごとき霊力をもつ男性という意味である。
【離縁の神】・【悪縁消除】
事解男命(コトサカオノミコト)
日本書紀に登場する神。イザナギが黄泉国にイザナミに逢いに来た際、互いにある約束事を交わした時に、発した言葉から生まれた神様。
菊理媛神(ククリヒメノカミ)
菊理媛神(ククリヒメノカミ)は【加賀(石川県)の白山市(しらやまし)】に鎮座する白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされています。
神産みで伊弉冉尊(イザナミ)に逢いに黄泉(よみ)を訪問した伊弉諾尊(イザナギ)は、伊弉冉尊(イザナミ)の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂 よもつひらさか)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊(イザナミ)と口論になる。そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊(イザナミ)の言葉を取継いで『一緒に帰ることはできない。』と言い、菊理媛神(ククリヒメノカミ)が何かを言うと、伊弉諾尊(イザナギ)はそれを褒め、帰って行った・・・とある。 菊理媛神(ククリヒメノカミ)が何を言ったかは、書かれておらず、また、出自なども書かれていない。
この説話から、菊理媛神(ククリヒメノカミ)は伊弉冉尊(イザナミ)と伊弉諾尊(イザナギ)を仲直りさせたとして【縁結びの神】とされている。 また、≪死者伊弉冉尊(イザナミ)≫と≪生者伊弉諾尊(イザナギ)≫の間を取り持った事から【シャーマン・巫女】の女神ではないかとも言われている。 【ケガレを祓う御神格】ともされています。
神名の【ククリ】は【括り】の意味で、伊弉冉尊(イザナミ)と伊弉諾尊(イザナギ)の仲を取り持った事からの神名と考えられています。 他に、「糸を紡ぐ(括る)」事に関係があるとする説。「潜り」の意味で【水神】であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説がある。
【縁結びの神】・【恋愛成就・結婚祈願の神】・【和合の神】

榊森神社は古来『新宮明神-しんぐうみょうじん-』と称し、大多山(おおたさん)の麓の小田山(おだやま)に鎮座されていたと伝えられています。 その後、登岐山に居城しこの地方を治めていた城主、高根某が氏神社として祀りました。 【第51代 平城天皇-へいぜいてんのう-】の大同2年、榊森城が落城(廃城)の後、村祠【氏神社】としてはじめて宮林に造営しました。
しかし境内が狭く交通も不便な為【第106代 正親町天皇-おおぎまちてんのう-】の元亀(げんき)年中に、明神山(現在の宮前)に御遷宮(移遷)致しました。 その後、社殿再建、明治16年神殿改修、幣殿、拝殿が再建されて現在に至ります。
祭神の勧請について詳しい由緒は不詳とされていますが、紀州熊野の熊野三山の祭神と同じであり、町の名前も【熊野新宮】、神社も【新宮明神】と称していたことからも【紀州 熊野三山】 より勧請されたものと考えられています。 明治初年緒制度改廃、神仏分離(しんぶつぶんり)が行われ、新宮明神を≪榊森神社≫と改称されました。
古くより新宮区の氏神様として厚く信仰を集め、宮守や氏子総代により守られており、主な年行事としては、毎年8月末のたのみ祭や10月末の例大祭などがあります。