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榊山神社の歴史・由緒

祭神 三柱の神

応神天皇 :第15代天皇であり、品陀和氣神(ほんだわけのかみ)といわれる。在位270年~310年。実在性が濃厚な最古の大王(天皇)で父は先帝仲哀天皇で、母は神功皇后こと息長足姫神(おきながたらしひめのかみ)とされる。
【武神 】・【出世開運の神 】・【厄除けの神 】・【商売繁盛の神 】・【家内安全の神 】・【交通安全の神 】など幅広い御神格を有する。
神功皇后 :息長帯比売神(おきながたらしひめのみかみ)といわれ、第14代天皇仲哀天皇の皇后で応神天皇の母。仲哀天皇の死後、新羅に出陣、凱旋。
出陣の時は月延石で産期を延後して、凱旋後筑紫の地で応神天皇を出産したという。仲哀天皇が亡くなったから応神天皇即位まで、69年間摂政をつとめた、日本書紀に唯一天皇でなくても紀がある皇后。なお、日本初紙幣で肖像が載せた女性である。
【安産・子授け・子育ての神 】・【勝運の神 】・【縁結びの神 】
仲哀天皇 :第14代天皇であり、在位192年~200年。神功皇后の夫・応神天皇の父。熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた。【武神 】
「ヤマトタケル」と呼ばれた小碓皇子の子供。

歴史

熊野筆の産地として名高い熊野町に鎮座する榊山神社は、承平3年(933年)宇佐八幡宮より勧請された約1100年の歴史を誇る神社です。広大な敷地に建てられたこの神社は、かつては大宮八幡宮とよばれ、本殿は三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)の銅版ぶきで、建物の大きさは通常の神社建築の2.6倍の面積と4倍の体積をもつ、わが国でも最大級の規模を誇る秀麗な建築物であり、町内外の多くの方々に崇められています。
正徳五年(1715年)火災にあい伝来の宝物や古文書などを焼失したため詳しい縁起を知ることはできません。現在の本殿は江戸時代中期の第五代藩主吉長の許可を得て三年の歳月をかけて上棟したものです。拝殿は慶応四年(1868年)斧始式を行い、明治三年(1870年)竣工に至りました。
また、神社の正面に立つ大杉は樹齢八百年といわれ、ご神木とされています。

社内外の奉献・寄進物には、熊野の筆づくりに関わるものが多くあり、古くより盛んであった熊野筆の歴史を見ることができます。
江戸時代後半の安政年間(1854~1860年)は、芸州筆の生産も伸び熊野の地にも大商人が出てきた時期であり、榊山神社の九十九段の石段は、その代表である孫井田才兵衛(まごいださいべえ)による寄進であり、玉垣はその弟である孫井田正三郎(まごいたしょうざぶろう)・渡辺勘三郎らの奉納・寄進によるものです。